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このサイトは、ゲーム開発、およびゲーム周辺の周辺技術や動向について日々考察し、毒舌的に物を書き続けることを通して、「ゲームの未来形」という大テーマに対して、何か考えを深められるといいなあ・・・・・・というサイトです。

2005年02月28日

スピード感の増した口コミ・ネットワーク

コアゲーマーが買い逃したゲームを追いかけなくなり、マニア向けのソフトが継続的に売れずに初週依存率が上がっています。この現象には2つの要因がありま
す。1つは中心購買層のゲーマー体力が低下したこと、もう1つは男性オタク市場がますます一過性のネタ重視になってきたことです。1つ目の要因については「変化する市場」の中で書きました。今回は2つ目の要因について、さらさらっと書こうと思います。

成熟したネットワークがもたらすスピード感
個人ニュースサイトやBLOGによって形成されるネット上の口コミネットワークが、一定の成熟段階を超えて、話題の流れるルートが完成してきました。その ため話題の伝播する速度がかなり早くなり、ネット上でアクセス可能なコンテンツが口コミで急速に盛り上がるようになりました。去年の夏から秋にかけて、実 質4ヶ月程度で爆発的に成長した『ひぐらしのなく頃に』は好例でしょう。 一方で、ネタ系FLASHの消費サイクルが短くなっています。「みこみこナース」を代表例とする一昨年の電波ソングブームの頃は、話題の立ち上がりから終 息まで2〜3ヶ月はあったのに、「きみしね」が盛り上がった去年の秋頃はサイクルが1ヶ月半ぐらいになっています。立ち上がりが早いものの、終わるのも早 い。新しい情報がどんどん出てくる一方で、少しでも古くなるとすぐに忘れられてしまいます。
新時代の口コミ
今の男性オタク市場では、コミュニケーションのネタにならない物はすぐに忘れられ、消 えていきます。ネット上での口コミ・ネットワークが成長した結果、口コミの意味が変化しています。良い品質だけれど地味なためにあまり注目されてなかった 不遇の商品が、じわじわと評判が広がって販売を伸ばしていく。それが古い時代の口コミでしょう。 新しい時代の口コミは、話のネタになりやすいか、ネタになる要素が多いかで、口コミ網に乗るかどうかが決まります。また、継続的にネタを創出していける、 可能ならばユーザー自身が勝手にネタを増殖させてくれる構造がのぞましい。そうしないと、あっさり話題が消費されつくして、短期間で消えてしまいます。
同人ノベルゲームは絵がうまくないほうがいい?

例えば、同人ノベルゲームについては、絵が下手なほうがうまくいっている、という事実があります。先日、同人ノベルゲームにくわしくない人に、TYPE-MOONの『月姫』の絵と、07th Storming Partyの『ひぐらしのなく頃に』の絵
見せたところ、「なんでこの絵で売れてるのかが理解できない」という反応でした。かといって絵が無いノベルゲーム(背景のみ、またはサウンドノベルのよう
なシルエット)は、シナリオの評判がいくら高くても、あまり広がりません。その時思い当たったのは、カラオケボックスが広がってから、カラオケで歌いやす
い歌のほうがヒットしやすくなったように、同人ノベルゲームでは絵を描きやすいほうが盛り上がりやすいんじゃないか、という仮説です。
元々の絵が上手いより、「これなら自分でも描けそう」「自分のほうが上手い」と思える絵のほうが、たくさんの人が絵を描きやすい。『月姫』や『ひぐらし』
は、ネット上のイラスト、漫画が大量に日産されているのはそのせいではないか、と。「隙」があったほうがみんなが乗っかりやすい。乗っかってもらえれば、
あとはユーザー自身が勝手にネタを増殖させてくれます。

Posted by amanoudume at 04:00 個別リンク | Comments (15) | TrackBack(1)
[マンガ][アニメ][小説][フィギュア] 稚拙なモノの需要
Excerpt: 昨日出会ったいろんなエントリー等からいろいろ感じたことをまとめてみよう。まず発端はファウストメールマガジン、現在最新29号の一節。まだバックナン バー化されていないので長めの引用失礼。 ==== [http://mm.kodansha.net/backnumber/index.html:title] http://mm.kod...
Weblog: 結婚未遂
Tracked: 2005年03月16日 02:16

2005年02月27日

天下二分の構図にまた一歩

「日増しにリアリティをおびてきた新時代の天下二分の構図」で予想した未来図へ向けて、また一歩前進したようです。

据置ゲーム機サイド: 「坂口博信氏のマイクロソフト参入」

「坂口博信氏のマイクロソフト参入」のニュース、予想以上にインパクトがありましたね。
朝日新聞の1面に掲載されたのを始め、毎日新聞、日経新聞、産経新聞、日刊スポーツなど、新聞各紙が報道。「FFの生みの親、再出発」や「マイクロソフトが先手」という見出しが誌面を飾りました。DS向けのS・RPGの話は完全スルーみたいですね。
坂口博信氏は以前、「任天堂とマイクロソフトと一緒に3本やってます」と公言していたため、2ch等では任天堂の据置ハードにRPGを出すのでは、と予想していた人もいらっしゃいましたが、そんな現実はどこにもなかったようです。

今回の発表で、一部のゲーマーに広がっていた任天堂の据置ハードへの期待感(妄想)が下がり、相対的にXBOX2への期待感が高まっています。E3前の前哨戦で、マイクロソフトが一歩リードした感があります。
北米においては「次世代ゲーム機はソニーとマイクロソフトの一騎打ち」という予想が常識になっていますが、日本においても徐々に一騎打ちムードが広がりつつありますね。坂口博信氏の据置RPGがすべてXBOX2ということで、構図がよりわかりやすくなりました。

資本流入で活性化するか?ゲーム業界
それにしても、最近有名クリエイターの独立が多いわけですが、その ほとんど全部にマイクロソフトがお金をばら撒いたら、一瞬で大手級のソフトラインナップが揃うことになります。発表会の時にクリエイターをステージに並べ るのはソニーが大好きな演出ですけど、坂口博信氏、岡本吉起氏、船水紀孝氏、水口哲也氏、桜井政博氏、岡田耕始氏、……をずらっと並べたら、インパクトは あるかもしれませんね。まこなこさ んも、同じ予想(想像?)をしておられるようです。 ゲーム開発者の独立は潜在的にはもっと起こってもおかしくないんです。ゲーム業界の外の資本にしてみると、開発者がソフトメーカーの中に囲い込まれている 状況は、自分たちが間に入れないから、おいしくない。外部資本からすれば、ソフトメーカーからの開発者の独立がもっと活性化したほうが都合がいい。 ところがゲーム業界は、最近景気が悪い。そうすると投資ブームを作るのも難しい。ここ数年のコンテンツ業界への投資は、アニメが最も盛んでした。次がライ トノベルかな?という感じですが、やや規模が小さい。 アニメバブルもおいしい時期は過ぎ去りつつありますから、次こそゲームだ、という思惑はまだあるでしょう。DSとPSPの次世代携帯ゲーム機戦争と、 XBOX2とPS3の次世代据置ゲーム機戦争の2つの競争によって、ゲームに注目が集まるようになれば、外部からの資金流入が活性化するかもしれません。 今は不景気だから、名前でお金を引っぱってこれたり、1社分のスタッフを引っ張っていけるクリエイターぐらいでないと、なかなかお金を集めにくい。しかし プラットフォーム競争が激化して、ゲーム業界にお金が流れ込んでくるようになると、独立ムードが高まって、多少流動的になるかもしれません。 ここからは想像の世界になりますが、たとえば、旧スクウェア系の開発者が今後、ミストウォーカー=マイクロソフト連合に引き寄せられていく可能性も無視で きません。「FF12」のアートディレクターの皆葉氏にしても、「FF12」の仕事はまだ続けるとコメントしてますけど、ふつう何もなかったら、プロジェ クトの途中で独立しないでしょ。いろんな憶測が流れるのは自然なことでしょうね。 スクウェアからの独立組にしても、オリジナル作品を作れたのは最初ぐらいで、あとは結局続編やキャラ物ばかりですからねえ・・・・。成功してる会社はない ですよね。そこにかつてのカリスマ様がやってきて、「きみはそういう作品を作りたくて、ゲーム業界に入ってきたの? 違うだろ。いっしょに新しい物を作ら ないか」と肩を叩いたら、グラッときますよね。バックにお金があるわけだし。 スクウェアに限らず、同じことは他の大手でも起こりえる話でしょう。 まー、ここまでくると、妄想の領域ですがね。しかしマイクロソフトが日本のゲーム業界にとって、本当の意味での「黒船」になる時期が近づいているのかもしれません。
携帯ゲーム機サイド: 初期需要の終わったDSとPSP。そして・・・

メディアクリエイトの週間販売データの累計がこちらにまとまっています。
2月に入ってDSとPSPの売上台数が低下し続けています。両ハードとも初期需要は終わったと見ていいでしょう。2月はDSに新規タイトルが不足しています。以前、2月中にPSPがDSとの台数差を10万台ほど詰めるかも
れないと予想しましたが、2月の第1週〜第3週でPSPは約5万台差を縮めました。第4週の販売結果はまだ出ていないものの、思ったよりPSPの失速が早
かったですね。品不足が続いていた時には、「PSPの初期需要は巨大。出荷すれば100万台は余裕」などと、書き散らしている人もいらっしゃったが、実際
には100万台に達しない時点で初期需要が終わりました。
巨大な初期需要は幻想で所詮こんなものだったのか、あるいはPSPの初期不良の話が広がり、商品の魅力が低下したのか。どっちでしょうね?
考える材料が1つあります。先週、SCEが□ボタンへの対応を発表したことは記憶に新しいと思います。もしかすると、SCEが予想していた初期需要はもっ
と大きかったのかもしれません。しかし初期不良問題によるイメージダウンで、予想よりも売上の落ち込みが早まった。だから慌てて、□ボタンへの対応を発表
し、あたかも初期不良の問題が解消されたかのようなイメージを広めようとしたわけです。
そう考えると、初期不良への批判の高まりは、ソニーをじわじわ追い詰める効果があったといえます。結果的に100万台に届かないうちに、初期需要が終わっ
てしまいました。あわれ。
PSPは今後、売上台数をのばすきっかけ(となるソフト)が特に見当たりません。一方でDSは3月下旬からサードパーティのソフトがそろい始め、さらに来
年度には「nintendogs」がいよいよ登場。「本当のローンチはnintendogsの発売日」という意見も見かけますし、春は「DSの第2のロー
ンチ」になりそうです。第1のローンチで150万台売ったわけで、第2のローンチでもう150万台積み上げて、一気に300万台。まぁ年末商戦ではありま
せんから、さすがに1ヶ月やそこらで150万台という数字はないでしょうが、累計300万台突破への大きな飛躍になるのは、ほぼ間違いないでしょう。一昨
年の「メイドインワリオ」、去年の「ピクミン2」のように、「nintendogs」が春から夏にかけて売れつづければ、その間DSの販売数は高い数字で
安定するでしょうね。
ゲーム業界の歴史をふり返っても、300万台を早期に達成したハードが勝ってきました。年末商戦を待たずして、日本では完膚なきまでの決着がつくかもしれ
ませんね。

まとめ

据置ゲーム機と携帯ゲーム機の両方で、事態が進展しつつあるのを肌で感じ取る毎日。その結果、ソニーという名前がゲーム業界の地図から消えてしまうことになるかもしれません。数年前なら、それは惜しまれる出来事でした。

しかし「要らない子」で書いたように、もはやソニーが消えてしまっても、日本経済にあたえるダメージは大したことないし、長生きしてもろくなことしない、とみんな悟ってしまいました。消えちゃっていいでしょうね、もはや。

Posted by amanoudume at 00:02 個別リンク | TrackBack(0)

2005年02月26日

変化する市場

ゲームマニアのゲーム離れ?
ファミ通巻末の浜村通信氏のコラムがようやく、それなりに読める内容に 戻ってきましたね。 ソニーからの広告費が潤沢なのか、最近はかなり偏向した内容になっていました。発売直後の入手困難な時期に「新幹線の中でPSPで遊んでいるサラリーマン を何人も見かけた」などと書き散らしたり、初期不良についての問題には完全に目をつぶるし、まったくもって1行1行からお金の臭いがプンプンするコラムで した。 その結果、少なからず、信頼性を傷つけていました。特にネットでの評判は一段と落ちていますね。もし今年、部数が落ちることがあるなら、それはここ 2〜3ヶ月のファミ通の偏向性が災いしたといえるでしょう。部数が長期低迷しているとはいえ、歴史ある雑誌なわけですから、正常な誌面に戻っていくことを 期待します。 さて、本題にもどります。 去年の秋頃、「マニアでさえゲームに飽きつつあるのが現状」と書きましたが、浜村氏も同じような見解に達しているようです。

> 時間ができた時は店頭に並んだ新作、話題作に手を出すが、買い逃したソフトは
> それほど追いかけない。ファンとソフトのつき合いが淡白になっている。 (ファミ通より)

> 市場に蔓延する「飽き」の感覚。いまだ惰性として、生活習慣として、ゲームを買い
> 続け、遊びつづけている人たちにとってさえ、そういう層においてさえ、明確に「飽き」の
> 感覚が蔓延している。それが明らかになりつつある。
> (発熱地帯 最先端の市場に蔓延する「飽き」の感覚

この現象には2つの理由があります。1つは中心購買層のゲーマー体力が低下したこと、もう1つは男性オタク市場の特性が変化したことです。今回はその1つ目の理由にしぼって記事を書きます。

ゲーマー体力で見る市場の変化
去年、多くのゲーム系サイトで「積みゲー」という言葉が頻発するようになりました(「積みゲー」という言葉自体は以前からありましたが、去年あたりから急 増しているように感じています)。大雑把にいえば、まずファミコン世代の年齢が上がって、ゲームをやりつくす時間がなくなったり、自由に使えるお金が減っ たり、他の娯楽にお金を使うようになったためです。 おっさんゲーマー、ロートルゲーマーと自称する人たちが増えていて、そういう層は軽いボリュームの物を遊びたいと思っているのは確かでしょう。この辺のま とめは、NGMさんの「シューティングばかりで他のゲームを遊ばないと、ジャックはロートルになる」が 非常に参考になります。「ファミコンミニ」を始めとした、「なつかしさという間口の広さ+シンプルなボリュームのゲーム」路線が成功しているのも、社会人 ゲーマー(特に30歳以上のゲーマー)のゲーマー体力が落ちているのが要因の1つです。 また「パチスロ」を支えているのもゲーム世代で、単純で奥の深いゲーム性が受けている、とよくいわれます(もちろんギャンブル性も、継続性や中毒性を維持 する要因ですが)。FLASHなどのフリーゲーム人気もシンプルなゲームを求めるニーズの高さを示しています。 特にコアゲーマーはシンプルなボリュームで深いゲームを求めていて、たとえば「ドリラー」「塊魂」「キャッチ!タッチ!ヨッシー!」といった深いゲームを 高く評価しています。また、80年代のアドベンチャーゲームを今の表現力とタッチパネルでよみがえらせた「アナザーコード」に注目が集まったりします。 「ヒトフデ」もシンプル性が逆に目立ったゲームですね。この手のゲームが多いのが、DSがコアゲーマーから支持されている理由でしょうね。 客層を分析すると、DSは20代後半〜30代、PSPは10代後半〜20代前半によく売れました。ゲーマー体力という観点で見ると、ゲーマー体力が落ちて いてシンプルなゲームを求めるユーザーはDSを選択し、遊ぶ時間の多い学生など、まだまだゲーマー体力があり余っているユーザーがPSPを選択している、 といえます。
コアゲーマーとライトユーザーのズレ
ただ、コアゲーマーとライトユーザーには若干のズレがあります。 深いゲームは一方で、深い技術をゲーマーに求める傾向があるため、ライトユーザーはそこでふるい落とされてしまいます。中毒性は必要なものの、同時に考え なければならない要素の数が多くて複雑だったり、習熟にかかる労力が多大になると、とたんにユーザーの幅を狭くしてしまいます。そのため、シンプルなボ リュームで深いゲームはあまり大きくは売れません。この辺は「プレイヤー中心のゲームデザインから、プレイデータ中心のゲームデザインへ」で 議論したとおりです。 ライトユーザーはミニゲームぐらいの深さがちょうどいい。例えば、DSでは「メイドインワリオ」や「スーパーマリオ64DS」などミニゲームが目立ちます が、あれぐらいでないとついていけない。PCのアクセサリーでは「ソリティア」や「マインスイーパー」。FLASHでは「艦砲射撃」とか。中毒性や常習性 が高く、延々やり続けることもできるものの、軽く遊ぶこともできて、1日1回遊んで、それも数分〜10数分ぐらいで、「おっ!今日は昨日よりスコアがのび た」ぐらいが程よいんじゃないか、と思います。 最近、ネット上で「難易度」や「やりこみ」についての議論が起きている背景には、コアゲーマーのゲーマー体力の低下の問題があります。単純に「難易度やや りこみは過去にもあった議論」というのは、今起きている変化に対して鈍い気がしますね。似た議論が過去にあったとしても、それが今起きているのだとした ら、どうしてその議論が起きているのか、背景を考えたほうがいいです。そうでないと変化の予兆を見逃すことになりかねません。変化に鈍感な人たちは例え ば、「スゴイゲーム」などと、ズレたことをわめき出す。
次の10年のプレイ・モチベーションとは?
コアゲーマーとライトユーザーにズレがあるとはいえ、それ にしても、この「ゲーマー体力の低下」は幅のやりこみという「現在」の方法論と矛盾します。 > 幅のやりこみを重視するゲームは、「何かを集める/空白を埋める/ファッション性に > 結びついたコレクション性/RPG的なキャラ育成」を、プレイヤーのモチベーションとしています ファミコン20年、大雑把にくくるなら、最初の10年はスコアがプレイヤーのモチベーションを牽引し、次の10年は収集とストーリーが牽引してきました。 スキル主義の10年、労力(コスト)主義の10年といってもいい。しかし次の10年はプレイヤーのモチベーションをどうやって牽引するのか? 収集とス トーリーでは保たなくなりつつある、と思います。今はとりあえずそうするけど、そろそろ次の方法論を考えなければならないのでしょう。 例えば、集めるというモチベーションは、集める対象が集めてうれしいものでなければならないため、アイテムにゲーム内で意味をもたせたり(武器など)、ミ ニゲームをあげたり、数十体の乗り物を用意したり、10種類をこえるゲームモードを用意したり、アホみたいにこれでもか、これでもか、とやりこみ要素の物 量を作っているわけです。作る側がどんどんしんどくなっていく。そして作る側がしんどいだけでなく、ユーザーもボリュームがしんどくなりつつあります。 また、ストーリーの続きを知りたいというモチベーションにしても、RPGはもうプレイするのが面倒だから、ムービーだけ売ってくれ、という意見が増えてい ます。「ドラクエ」ぐらいになるとオリンピックみたいなもので、お祭りとして遊んでくれますが、それはふだんはスポーツ番組なんて見ない人でもオリンピッ クになると見るようなもので、RPGというジャンル自体は停滞感が濃くなっています。伝統あるシリーズはまだ保っていますが、新しいシリーズを立ち上げよ うとしてもうまくいかない。ジャンルとしては惰性的な様相が強くて、あまりいいムードではありません。 もちろんスコアアタックの楽しさが無くなっていないように、集める楽しさやストーリーを追いかける楽しさが無くなるわけではありません。楽しさの原理とし て、空白を埋めたくなる欲求、続きを知りたくなる欲求は不変のものです。この10年はその構造で我々ゲーム開発者は食うことができました。だがそろそろ作 る側も遊ぶ側もしんどくなっていて、かといって最初の10年の構造(スコアなど)に先祖がえりするのも難しい。だから新しい構造を考えなければならない。 今後3年ぐらいで転換するイメージじゃないか。 ただ、遊びの原理に普遍性があるように、答えは今すでに見えている範囲内に存在しているはずです。その中のどれかを中心にすえて、新しい構造を作ることに なるはずです。ゲームの構造はかつて、上手い人と下手な人が両方楽しめるように変化しましたが、おそらく今度は、時間がある人でも時間が無い人でも両方楽 しめるように変化するのでしょう。 現在のMMORPGは労力(コスト)主義の究極形ですが、ゆえにいわゆる「廃人」問題にこの思想の問題点がよく表れている、ともいえます。オンラインゲー ムは大量時間消費型から別の形態への移行を模索している最中ですが、同様の変化がコンシューマーゲーム一般に起きていくのでしょう。
Posted by amanoudume at 00:29 個別リンク | Comments (16) | TrackBack(0)

2005年02月15日

プレイヤー中心のゲームデザインから、プレイデータ中心のゲームデザインへ

2種類の「やりこみ」

平日に呑みにいってしまい、帰宅したら即寝ちゃいましたよ。
「あー、頭イテえ・・・・」と思いながら、朝になってBLOGを更新。

ゲーム開発者やハードゲーマーのBLOGを見渡すと、「キャッチ!タッチ!ヨッシー!」(通称キタヨ)がかなり話題になっています。同じヨッシー系の「万有引力」や、E3等での事前の話題性だけは高かった「ジャングルビート」がほとんど語られていない現象と比べて、格段の差を感じます。全体的に、かなり肯定的な論調ですね。
とはいえ、話の主軸は、ゲームソフトの内容や出来よりもむしろ、「2005年に任天堂があの価格であのボリュームのソフトを出したこと」にあるようです。

ネット上の議論では、駄研「やりこみの原因」ABAの日誌「やりこみ要素のないゲームをやりこむ」が非常に興味深かったです。どちらのBLOGでも、「やりこみ」という言葉がレビューによって異なる意味で使われていて、誤解や混乱を招く危険がある、と指摘されています。
ABAさんの分類によれば、俗に「やりこみ」という言葉は2種類あります。

> システムとして用意されている、幅広い(隠し)要素を網羅するためにやりこむ(幅のやりこみ)
> シンプルなシステムのゲームで、ひたすらスコアアタック、タイムアタックをやりこむ(深さのやりこみ)

この分類に従えば、ヨッシーは幅のやりこみがほとんど無く、深さのやりこみに特化したゲームと言い表せます。ABAさんが指摘されているように、たしかにゲーム開発者は深さのほうを評価する傾向がありますね。

> このスレでは挑戦やりこみの方が支持されているっぽい。まあそりゃ開発者
> コミュニティだからなあ。開発者は深さ優先のシンプルシステムゲーが好きだよね。
> そのほうが作るのが面白いし。(ABA Games)

ただ、ゲーム開発者の好みとは逆に、市場を見渡すと、深さ優先のゲームよりも、幅優先のゲームのほうが売れているんですよね。

ストイックなゲームは生きづらい時代

ここ数年の口コミゲーム、じわ売れゲームである「無双」「GTA」「メイドインワリオ」「ピクミン2」「魔界戦記ディスガイア」はいずれも、深さよりも幅を優先したゲームになっていますし、一方で「ドリラー」「塊魂」「ヨッシー」といった、開発者の評価は高いけど、市場的にはそれほど売れてないゲームは、いずれも、幅よりも深さを優先したゲームになっています。

深さ優先のゲームは、ゲームの目的、プレイヤーに提供するモチベーションがストイックすぎる(古典的すぎる)ため、ゲーム開発者やコアゲーマーにばかり売れて、それ以外の層にはなかなか広がりにくい傾向があります。どこまでスコアを取れるか? どこまでタイムを削れるか? という目的そのものの訴求力が狭いため、たとえ「塊魂」のように、大らかなコースデザインをしたとしても、ユーザー層はやっぱり狭いのです。

もちろん単純なスコアアタック、タイムアタックの楽しみそのものが、ユーザー全員から失われたわけではないと思いますが、そういう楽しみは今はFLASH等のフリーゲームで享受できます。WEBブラウザ上で動作するため、空いた時間にすぐ遊べるという点では、携帯ゲーム機をはるかに凌駕していますし、手軽さ・気軽さという点でも、数千円のゲームよりはるかに優れています。深さは足らないかもしれませんが。

しかし多くの人にとっては、スコアアタックにハマるといっても、ゲームウォッチに毛の生えたゲームで十分なように思えます。現状では実装されているゲームが少ないものの、ネット上でのランキングシステムや、FLASHベースのネット対戦が十分整備されれば、もうコンシューマーゲームが逆立ちしても実現できない娯楽サービスになるわけです。
今、プリミティブなゲームやストイックなゲームはどんどんフリーゲームの領域に流れていて、コンシューマーゲームという領域は、ストイックなゲームには生きづらい場所になってますね。

プレイデータ中心のゲームデザイン

幅のやりこみを重視するゲームは、「何かを集める/空白を埋める/ファッション性に結びついたコレクション性/RPG的なキャラ育成」を、プレイヤーのモチベーションとしています。よくいわれるとおり、ゲームを遊んだ結
果の大半がプレイヤー自身に反映される(ゲームの腕が上がる等)のではなく、ゲーム内に結果が蓄積されていくゲームのほうが好まれています。

アーケードはこうした変化を柔軟に受け入れていて、オンラインのテーブルゲームでランキングが出たり、格闘ゲームでも、ICカードに対戦結果が残ったり、段位がもらえたり、コスチュームをそろえて自キャラをカスタマイズできるようになってますよね。おそらくコンシューマーでも同じような「性質」の変化が起きてくると思います。アーケードに比べると、どうしてもオンライン対応が進みにくいため、まったく同じ経路はたどれないでしょうが、個々のパッケージを中心にしたゲームソフトから、プレイデータを中心にしたゲームサービスになっていくと思います。

プレイデータ中心という考え方は、2年前に(このBLOGの前身で)一度書いたことがあります。その時も例にあげましたが、一番わかりやすいのは「ポケモン」ですよね。「ポケモン」というコアのソフトがあって、それを遊んだ結果のプレイデータ(ポケモンデータ)があります。そして、プレイデータを管理する別のソフトとしてGCの「ポケモンボックス」があり、より臨場感のあるバトルを楽しむための「ポケモンコロシアム」があります。最近では、DS「ポケモンダッシュ」がポケモンデータから、コースデータを生成できました。

あくまで中心にあるのはプレイヤーのプレイデータで、個々のアプリケーションではない。プレイデータをどう使うかという点から、色々なアプリケーションやサービスが広がっていく。そのためには当然、プレイデータの価値を高めなければなりません。より高い価値を感じさせるには、プレイデータが以下の項目を満たしている必要があるでしょう。労力の代価が適切に反映されること、プレイデータが他のプレイヤーと比較可能なこと、プレイデータが他のプレイヤーと交換可能なこと、プレイデータの格付けやランキングが存在すること、プレイデータに継続性/継承性があること。また、サービスの展開を考えると、プレイヤーのもつプレイデータのデータ量が増加し、プレイヤーがプレイデータに愛着をもつのが望ましい。

こういう発想、こういう構造でゲーム(サービス)をデザインし、構築していくことが、コンシューマーゲームの突破口の1つになると思います。あえて、誤解をまねきかねない表現でまとめるなら、「プレイヤー中心のゲームデザインから、プレイデータ中心のゲームデザインへ」の転換が起こりつつあるのでしょう。

補足

例えば、オンラインゲームについても、コミュニケーションツールとして捉えるよりも、プレイデータ中心の考え方で捉え直したほうが、より実態が浮き彫りになるかもしれません。コミュニケーションツールとか、チャットの進化形として捉えるから、MMORPGの問題点(「廃人プレイ」や「長時間プレイを強いるレベルの上がりにくさ」)もわかりにくくなる。

プレイデータ中心に考えてみれば、プレイデータと遊ぶ労力のバランスが取れておらず、プレイデータの格付け方法が粗いだけ、と問題点がハッキリします。オンラインとオフラインとか、少人数オンラインと多人数オンラインとか、そういう区分ではなくて、プレイデータ中心のゲームデザインとして、どれだけ洗練されているか?という視点で捉えたほうが、問題点が整理しやすいし、ゲームデザイン上の課題も見えてくると思います。
あえていってしまえば、オンラインゲームなんてものは、プレイデータの価値をより高めるサービスを展開するための手段にすぎないわけです。

Posted by amanoudume at 14:58 個別リンク | Comments (18) | TrackBack(2)
ゲームスタイル
Excerpt: ■プレイヤー中心のゲームデザインから、プレイデータ中心のゲームデザインへ 今作られてるゲームをやっているよりも、昔の単純なファミコンのゲームをやっているほうが最近おもしろいなぁって思うんだよなぁやっぱり。なぜか最近はダ ウンタウン熱血物語が自分の中で流行.
Weblog: デジタルエイジ_ブログ
Tracked: 2005年02月18日 14:55
費やした時間に報いるデザインのコト
Excerpt: インフルエンザのA/B型?に連チャンで罹ってしまい、その間に大量の仕事がキューに...
Weblog: 六百デザインの「嘘六百」
Tracked: 2005年02月18日 22:36