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このサイトは、ゲーム開発、およびゲーム周辺の周辺技術や動向について日々考察し、毒舌的に物を書き続けることを通して、「ゲームの未来形」という大テーマに対して、何か考えを深められるといいなあ・・・・・・というサイトです。

2006年04月26日

『涼宮ハルヒの憂鬱』第4話 そして親切さと不親切さ

前回のエントリーが「涼宮ハルヒの憂鬱 第3話」で、今回が「第4話」。更新頻度の如実な低下を物語ってますね。
まぁ時期が時期だけにねえ。とはいえ、E3前のこの時期はニュースが一時的に減るから、話題も無いんですけどね。

強いて言えば、3分ゲーコンテストのあのゲームですか。
日刊良スレガイド 「超怖いゲームみつけた」より。
『愛と勇気とかしわもち』
なつみSTEP系。こういう毒のある世界は好きです。

それはさておき、やっぱり原作未読者へのフォローが無いまま、『涼宮ハルヒの憂鬱』後のエピソードを流すあたり、さすが。しかしこの確信犯的な不親切さが、大方の予想をこえて成功している現象をどう捉えたらいいんですかね? 感覚的には何となくわかるんですが、うまく説明できません。んー、まぁ要するに、世の中にいかに親切なものがあふれているかということ、親切さの過剰な状態なんじゃないかな。もちろんただ単に不親切なだけでも、通用しないんですけどね。

この辺り、dominoの編集後記さんの考察はちょっと興味深いです。

ハルヒ1話目は原作ファン以外にはちっとも優しくない作品であり、原作販促の意味合いは強くない、と捉える事もできそう。でも、アニメ開始以降今までのところ爆発的に原作の文庫は売れているんだよなぁ。角川からの注文FAXにも、何のデータか知らないけどアニメ開始直後の対前週比408%アップ、みたいなことが書いてあったような記憶があるし。ファン以外にはちっとも優しくないのに何故なのだろう
『ドルアーガの塔』の引用もなるほど。

話はそれますが・・・・。
そういえば、(げーはな先生が以前から力説しているように)ドルアーガは今の時代の感覚で、冷静に考えたら、ただのクソゲーと言われてもおかしくないわけです。けれどもその場合のクソゲーというのは、クソゲー=不親切=悪ということなんですよね。不親切=悪という論理を意識的にか、無意識にか、生み出したのはたぶん任天堂だと思うんですが。しかしそれがいつのまにか、日本のゲーム業界の常識になり、海外のゲームもPS2以降は非常に親切になる一方。けれどもどうなんでしょうね、この「親切さ」というのは。

最低限度の「親切」と過剰な「親切」の違いを、ちょっと考えてみたい気もしているんです。勘ですが。ええ、勘ですとも。不必要な「親切さ」が逆にユーザーを制限するということもあるんじゃないかなーと。わかりやすい例を出すと、親切心からチュートリアルが30分も用意されているんだけど、30分もチュートリアルやってたら飽きちゃうよ・・・・みたいな。

話を戻すと・・・・。
そうそう、ハルヒの成功を語る上では、You Tubeの普及の波にうまく乗ったことも無視できませんね。第1話放映後には、EDテーマの作画クオリティが話題になり、たちまちEDのムービーがYou Tube上に掲載されたようですし、またたく間にかなりの数のMADムービーが作られ、まとめサイトまで作られています。
参考:YouTubeにおける『涼宮ハルヒの憂鬱』MAD映像まとめ

2chやブログ界隈を見れば、You TubeにおいてアニメのOP、EDムービーが一大ジャンルに成長しているような印象を受けます。おそらくリンクを張れるという利点によるものでしょう。著作権的にはアレげなものの、アニメ制作者を始めとして、映像コンテンツ制作者はYou Tubeから自分のコンテンツの権利を守りながら、同時にYou Tubeを利用してネット上での話題性を高めることを企むべきなのでしょうね。

Posted by amanoudume at 00:30 個別リンク | Comments (4) | TrackBack(0)

2006年04月20日

『涼宮ハルヒの憂鬱』第3話

やー、それにしても、第3話はハルヒのDQNっぷりが全開でしたね。まさに傍若無人。
アニメではハルヒ自らが証拠写真を撮っていますが、原作ではキョンが片棒をかついで撮影してるんですよね。アニメの方がハルヒのDQNっぷりが強調されている感じ。ただの鬼畜です、この女。かわいければ、なんでも許されるんですよ、ええ、それが現実です。

痛くてかわいいDQN娘が好き勝手に暴れまわる学園コメディと見せかけつつ、最後のあたりからSF展開に突入。SFっぽいBGMが流れ、長門有希が自分の正体を告白。原作読んでない人にすれば、キョン同様、まさに「はい?」って状態で、終了。こんなところで終わるなよっ、てなところですが、次回はまたもや順番を入れ替え、涼宮ハルヒの憂鬱第7話ならぬ第4話「涼宮ハルヒの退屈」。

順番を入れ替えて、視聴者を振り回し続けようとする制作者の冒険精神はすさまじい。ついていけなくなる人が出ることを恐れないというか、ギリギリのところで引っぱり続けようとしてますね。放映予定タイトルを秘密にしている理由もわかります。

  放送順      (ハルヒの予告)  タイトル
   アニメ第1話  (第0話)       『朝比奈みくるの冒険』  
   アニメ第2話  (第1話)       『涼宮ハルヒの憂鬱機
   アニメ第3話  (第2話)       『涼宮ハルヒの憂鬱供
   アニメ第4話  (第7話)       『涼宮ハルヒの退屈』

長門が正体を告白→長門の活躍するエピソードとくるなら、みくるが正体を告白→みくるが活躍するエピソード、古泉登場&正体告白→古泉の活躍するエピソードとくるはず。それと、短編の最初のエピソードの『退屈』が(ハルヒの予告順で)第7話という事は、『憂鬱』は困泙任△襪箸いΔ海函

他に短編のエピソードがどれぐらい入っているのか。SOS団公式サイトの「活動の記録」の反転テキストに、『エンドレスエイト』ネタが隠されていることを考えると、『エンドレスエイト』は含まれていると予想。1クールの放映と考えると、『消失』まで入れるのはけっこうキツそうな気がします。『消失』の内容を2話ぐらいに抑えれば、あるいは?
現時点での個人的な予想は↓

   アニメ第5話    『涼宮ハルヒの憂鬱掘戞
   アニメ第6話    『笹の葉ラプソディ』?
   アニメ第7話    『涼宮ハルヒの憂鬱検戞
   アニメ第8話    『ミステリックサイン』?
   アニメ第9話    『涼宮ハルヒの憂鬱后戞
   アニメ第10話   『孤島症候群』?
   アニメ第11話   『エンドレスエイト』?
   アニメ第12話   ???????
   アニメ第13話   『涼宮ハルヒの憂鬱此戞


さすがに第1話の頃と比べれば、落ち着いてきたものの、ネット上ではまだ話題が継続中。その間にも、まとめサイトが出来上がりつつあります。

  ・涼宮ハルヒの憂鬱・・2chまとめサイト
  ・涼宮ハルヒの憂鬱 総合案内所
  ・涼宮ハルヒの憂鬱 中国版
  ・京都アニメーション 涼宮ハルヒの憂鬱公式サイト
  ・REVの日記:文教堂の最新ランキングよりハルヒの売上順位

Posted by amanoudume at 00:33 個別リンク | TrackBack(0)

2006年04月19日

発掘エントリー 「市場価値のないユーザーを相手にするのは大変だ」

はてなブックマークを見ていたら、2年前の記事がwebarchiveから発掘されていたので、そんなにニーズがあるならということで掘り起こしました。以前、古い記事は整理してしまったんですよ。

2年前の記事ですから、当然、現在のボクの意見と異なる部分が少なからずあります。また、参照している記事も古いので、その点は注意してください。

この2年で国内のゲーム市場はどう変わったでしょうか。マニア向けに絞ったゲームを投入した会社は赤い海で溺れつつあり、ライトユーザーに向けてゲームを投入した会社は青い海をおおらかに泳いでいます。いつまでもマニア向けに作っていても、ジリ貧化する、レッドオーシャン化するという主張は当時から続いています。しかし当時は、国内市場のマニア層→海外市場、という予想をしていました。正直、ここまで短期間でライト層が活性化するとは思っていませんでした。

    ↓    ↓    ↓    以下、2年前の記事を発掘したものです    ↓    ↓    ↓

May 11, 2004
市場価値のないユーザーを相手にするのは大変だ

市場価値の縮小している男性オタク層

コンテンツ業界の悩みは深いが、とりわけオタク業界は大変だなあ、とつくづく思う。もはや新しいネタもとくになく、過去の資産を強引に焼き直すしか手がないようだ。
「トップをねらえ2!(仮)」、製作発表!!
かつてオタクに受けた作品の「2」をいまさら制作する、しかもかつての制作者がすでにいなかったり、作品の方向性を根本からねじ曲げていたり。ひどいもんだ。彼らはもう何が当たるのか、まったくわかっていないし、途方に暮れているんじゃないか、と思う。

ここ数年顕著なのは、男性のオタクの市場価値がゼロに近づいているということだ。
その辺は、ギャルゲー市場の縮小、萌え系コンテンツの迷走、エロゲー市場の長期的衰退などに顕著に表れている。また、男性のオタクが中心になって”一定以上の市場形成をなしえた作品が、アニメや漫画に皆無、という事実からもうかがい知れる。ネット上では話題になっても、実際にはたいして売れていない作品が多い。

最近は、女性のオタクが中心になってヒットにつながった作品のほうが多い。たとえば「SEED」「ハガレン」がいい例だ。ジャンプの漫画では「ONE PIECE」や「HUNTER×HUNTER」も無視できない。ここ最近のヒット作はほとんどすべて、女性のオタク層が中心になり、その後有象無象の男ども(あ、俺もふくむけど)が群がって、市場を形成している。男性オタクは市場形成能力を欠き、女性オタクのほうが市場形成能力を維持(増大?)している。

こうした市場動向は、着実に制作 or 供給側の認識を変えつつある。エロゲー業界では、アリスソフトの「大番長」やTYPE-MOONの「Fate/ stay night」、ニトロプラスの「デモンベイン」など、男性キャラ重視の潮流がはっきり生まれ始めている。規模の小ささから市場の動向に敏感にならざるを得ないためか、あるいは制作者側の時代のニーズに対する直感か。(むろん、これには「萌え」から「燃え」という、一部の男性オタクの嗜好の変化も影響しているとは思う)

そうしたニーズに乗れない旧世代制作者は、縮小し、分裂しつつあるオタク(男性)市場を前に途方に暮れているわけだ。その代表がガイナックスであり、その周辺もふくめた一部の古いオタク世代の人たちだ。90年代後半にやたらと出張っていたオタク文化論者の人たちが最近とんと元気がなかったり、クラシックなオタク世界に閉じこもって、全然動向を追えていないのは、単純にかれらがおじさんになったためだろう。

問題は彼らが自分たちのおじさん性にどれだけ自覚的なのか、ということだ。自覚したうえで、旧世代を相手に細々とビジネスをつづける、という確信犯的な選択もありだが、さて、いつまでもつかはあやしいもんだ。そうした彼らの悲惨な現状が、「トップをねらえ2」に顕著にあらわれている、というのは決していいすぎではないだろう。正直、痛々しい。

ユーザーの買い手市場という錯覚

市場価値のないユーザー層を相手にするのは大変だなあ、と思う。今はコンテンツがあふれていて、ユーザーが好きなように選べるし、違法コピーもふくめて、かなりユーザーが強い時代だというイメージがある。それは一面の事実なのだが、同時に虚構でもある。

というのは、今コンテンツ制作者&供給者がユーザー(市場)を選ぶようになりつつあるからだ。口うるさいだけで金もろくに落とさないユーザーよりも、もっと簡単にお金を落としてくれるユーザーに、ビジネスのフォーカスが当たるのは自然なことだし、あら探しばかりするお客よりも素直に評価してくれるお客に、制作者が心を傾けるのも自然なことだ。

国内のオタク業界においては、男性オタク→女性オタクという移行は顕著だ。また日本のコンシューマーゲーム業界も、明らかに国内の市場に見切りをつけ始めている。このあたりは、ゲーオタの人なら割と肌で感じていることではないかと思う。日本よりも、欧米で先に新作発表が行われたり、積極的に情報が露出されたり、欧米ユーザーの嗜好性にターゲッティングしたゲームを開発したり、という流れはここ2年ほどで、かなり明確な流れになりつつある。各社とも、全世界におけるローカライズ体制を急速に強化している。

つまり、より強く支持してくれる優良な市場(ユーザー)に対して、より優良なコンテンツとサービスを提供する、市場規模にあったターゲッティングが今後ますます盛んになっていく。そうなると、切り捨てられたユーザーは離れていくかもしれない。そして市場価値はますます縮小し、コンテンツ制作者&供給者はますますより優良な市場に傾いていく。たとえば「ゼノサーガ」のキャラクターデザインの変更などがいい例だろうか。

もはや市場は日本だけではない、という時代がすでに始まっている。その結果、一部では国内コンテンツ制作者とユーザーの間で、ますます乖離が起こるかもしれない。
    ユーザー「買ってほしかったら、もっと○○しろよ」
    制作者&供給者「あ、売れないなあ。よーし、もう国内はどうでも
               いいや。買ってくれる欧米の意見をもっと聞こう」
    ユーザー「俺ごのみじゃねえよ。もう絶対かわねえ」
    制作者&供給者「買わないなら客じゃねえな。買ってくれる人の意見をきこう」
                      :
                      :
もちろん、これはわかりやすくするために、オーバーに書いたわけで、実際ここまで子どもの喧嘩じみた対立はありえないがw、このようなズレは今後拡大していくのではないか、と思う。不幸だが、しばらくはしょうがないと思う。それがビジネスというものだ。
「お客様は神様だが、買わないやつは客じゃない。客じゃないやつの意見は聞く必要がない」
このシンプルな論理だけがビジネスを動かすのだから。

Posted by amanoudume at 00:08 個別リンク | Comments (3) | TrackBack(0)

2006年04月15日

メディアの論調が変わってきた

最近ゲームやってないなあ、ほんと。
という話もそろそろネタと化してきたというか、まぁどうせ仕事ではさわっているわけですし。
そんなことを書いている間に、低迷し続けていた国内市場がいよいよ復調。

ファミ通.com 「浜村弘一氏セミナー、"ゲーム産業の現状と展望"詳細リポート!」
携帯ゲーム機市場の大幅な伸長によって、前年比14.7%増の5717億円に回復。3年ぶりに5000億円台に浮上しました。とはいえ、ライトユーザーブームの恩恵は今のところ任天堂に集中していて、本数売上が約1572万本。2位のスクウェアエニックスでも約657万本でした。大多数のソフトメーカーにとっての目下のテーマは、市場の変化に急いで追随することでしょう。例えば、ナムコは右脳の達人シリーズを2月に1本、5月に1本と、続けざまに投入しようとしています。

誰の目にも明らかな現実と、メディアの論調の変化

DSの勢いに引っ張られて、メディアの論調も変化が見られるようになってきました。
これまでうちのブログで何度も書いてきたように、プロセッサ性能至上主義の時代は終わりつつあります(参考:携帯ゲーム機戦争は終わった)。

性能よりもインターフェースやコミュニケーション性能を重視したDSの大成功、そして性能と機能を追及しすぎたPS3の発売延期。いち早く高性能でスタートしたXBOX360の初代を下回る売上。こうした事例を目の当たりにして、プロセッサ性能至上主義の崩壊が多くの人たちの共通認識になったのですね。

1.読売オンライン:高性能よりも易しい操作好評…ゲーム機商戦は転換期

 超高性能が売り物のマイクロソフト(MS)の「Xbox360」や、ソニー・コンピュータエンタテインメント(SCE)の「プレイステーション」シリーズは販売が伸び悩む一方、性能面は抑えた任天堂の携帯ゲーム機「ニンテンドーDS」が、ヒット作ソフトに恵まれて好調な売れ行きだ。

 MSは6日に「Xbox360」のてこ入れ策を発表して巻き返しを図るが、高性能化こそが市場を拡大するというこれまでのゲーム機の“常識”は転換点にあるようだ。

2.日経ビジネスも久多良木氏の路線へ疑問を投げかけています。

★中鉢社長の元で改革を進めてるが、
中鉢改革前のソニーがSCE。
クタにPS3の開発状況を聞くとうるさいと怒鳴られる。

ソニー本体も実績があるだけに、クタにはあまり口出し出来ないようだ。
CELLは360より熱くなり、熱対策が大変。ソフトが書きにくい欠点。
今の所、外販の目処立たず。
サードは30万本売らないと黒字化出きず、
ソフト開発はするが、PS3と心中する気は無い。今の所タイトル不明。
PS3向けのソフト開発が出来るのが日本で5社。
海外入れても7から8社。
5000億投資済みだが、半導体部門の4−12月は308億の営業赤字。

3.大前研一のIT時評―PS3発売延期の真相

PS3がなぜこんな大事になってしまったのかというと、一言で言えば設計ミスだからです。
 スーパーコンピューターにも使われないような超高性能なチップとブルーレイ・ディスクという、いずれも未実証の技術を積んだことが原因です。たしかに、技術的には高水準ですが、果たしてゲームにそれほどの技術が必要なのか、ということです。あまりにも高度なものを設計しすぎて、結局世の中に出しにくくなってしまった感じですね。

4.浜村通信氏は、実際に開発に入っているPS3タイトルが少ないと指摘。レボリューションへの支持が高まっていると発言。

なお、ソフトに関しては「実際に開発に入っているタイトルは少ないようだ」(同)という。レボリューション(コードネーム)は、「もともとクリエイターには人気があったが、経営者には不人気だった。ところが、ニンテンドーDSのヒットで経営者にも人気が出てきた」(浜村)とのこと。

5.IT PLUS 「ゲームが開発できない」PS3の本当の問題

ゲーム開発の基本環境の整備が遅れている。そもそもプログラムを開発する上で必要なPS3用のコンパイラが最近まで提供されてこなかったのだ。コンパイラとは、プログラマが記述したプログラムをコンピュータが理解可能なものへと変換してくれるソフトである。昨年7月にSCEがコンパイラの専用企業、英SNシステムズを買収して開発し、対応しようとして来たが、リリースは遅れに遅れていた。遅れの原因は、PS3自身のハードウェアが持つあまりの複雑さにある。

Posted by amanoudume at 01:50 個別リンク | Comments (6) | TrackBack(0)

2006年04月14日

だからお前はいったい・・・・

何回観てるんでしょうか?
(ていうか、このネタひっぱりすぎ・・・・)

しかしなんですな、どんなにDQNでも、かわいければオールオッケーというのは、あまりにも、あまりにも、身も蓋も無い現実の縮図すぎです。いや、まー、そんなもんですけど、現実は。やはりハルヒは愛すべきキャラクターだと思うわけですよ。長門にしても、朝比奈さんにしても、古泉にしても、それぞれのバックにいる組織の思惑とは別のところで、やはり団長ハルヒを愛すべきキャラクターだと思っているからこそ、つき合えるわけで。結局、集団において、最後に物をいうのはカリスマ性みたいなもんですから。こいつの言うことなら仕方ないか・・・・という事を、できる限り肯定的かつ積極的に感じさせられるかどうかは、1つの重要な資質でしょうね。

それはさておいて、公式サイトよりも公式サイトっぽい特設サイトが公開されました。

しかしネットを周遊してみても、今期のアニメ新番組に関する話題で、ハルヒの占める割合のなんと高いことか。『ひぐらしのなく頃に』も大健闘、大奮闘しているものの、「良く出来ていて安心した」ぐらいの感想が大半で、原作があれだけの話題性をもっていたことを考えると、やや寂しいですね。クオリティの高い新番組は多いものの、もはや完全にレッドオーシャン化したアニメ市場で目立つには、クオリティだけでは駄目なのでしょうね。

もちろん京都アニメーションがブランド化しつつあるのは事実ですし、圧倒的な作画クオリティを誇るのも事実ですが、第1話に『みくるの冒険』を持ってくる大胆な構成が話題を生んだ効果は相当大きいと思うんですよね。
かーずSP戯言さんの4月7日掲載分で紹介されていた、新井輝の分析も興味深いです。

>ハルヒ1話目を観て新井輝さんがmixiで考察されていたんですが、
>以前は原作付きアニメというのは販促の意味合いが強く
>間口を広げるために(ファンからすると信じられない)設定改変などがあったが、
>今の原作付きアニメは普通のファンをより熱心なファンにする、
>つまり600円くらいの文庫なら買うというファンを、
>6000円くらいのDVDを買うファンに「強化」するために
>ファン以外にはちっとも優しくない作品を作るというところまできている。
この分析は確かに正しいと思うのですが、一方であの第1話であるにもかかわらず、アニメを観て原作を買いに走っている人もけっこう現れているわけです。原作ファンが第1話の解説をすること、第1話だけでなく第2話で判断してほしいと説明しまくることまで、計算に入れていたのではないか、とも思うのです。

アニメに限らず、ゲームにおいても、あらゆる娯楽コンテンツにおいて、話題性はとても重要です。そしてそれは、単に広告費が大きいとか、広報がいっぱい宣伝してくれたという事ではないと思うんです。制作(開発)の段階で、話題を呼ぶ要素が内在しているかどうか。よく言われることですが、なかなか実践できていないことです。そういう点でも、今回のハルヒは素敵すぎると思います。ええ。


おまけ
しかし昨日の記事のコメント欄に書いたんですが、ハルヒが今度は映画ではなくゲームを作ったらどんなゲームを作るか、非常に楽しみですね。ゲーム化する際には、アニメの素敵仕事を見習った、素敵企画を期待したいです。

ナムコの超能力養成ゲーム「マインドシーカー」を越える、宇宙人、未来人、超能力者と友達になれるネットワークゲームを作るのかなw

Posted by amanoudume at 00:57 個別リンク | Comments (5) | TrackBack(0)

2006年04月13日

で、俺はいったい何回観てるんですかね?

『涼宮ハルヒの憂鬱』、俺はいったい何回観てるんだろうね、まったく。
それにしても原作では割と痛い女であり、DQN娘だったハルヒがアニメになるや、ここぞとばかりに無邪気なリアクションを見せ始め、それがここまでかわいいとは。恐るべし、アニメ。ハルヒかわいいよハルヒ。
個人的には「まっ、そういうことだから」の両手を広げているハルヒと、「先に行ってて」のハルヒのアップがたまりません。いや、そりゃ、どれだけDQNな事を言われても、キョンがハルヒを見捨てないわけだよなあ。演出的には、「こうして俺たちは出会っちまった」の男子トイレと女子トイレのマークのアップが好きです。いいね、このセンス。

『ハルヒ』、今期のアニメの中では、ダントツの話題性ですね。
賛否両論が分かれた第1話でしたが、高いクオリティの第2話を観て、好評価が定着しつつあるような。
京都アニメーションの圧倒的な作画能力、化け物ですよ、この人たち。

    ・好き好き大好きっ 「ハルヒアニメ2話」
    ・ろりぷに TVA「涼宮ハルヒの憂鬱」OP&ED ダンスパート
    ・MOONPHASE雑記 2006-04-12
    ・おけぐわの日記 谷川流『涼宮ハルヒの消失』
    ・なつみかん。 TVアニメ「涼宮ハルヒの憂鬱」第1話が凄い理由

アニメを観て小説を読もうと思った人は、ぜひ4巻までつき合うことをオススメします。読者の間では4巻の『涼宮ハルヒの消失』が最高傑作という定評です。ハルヒって、一見ただの萌え小説に思えますが、中身はけっこう真面目なSFです。宇宙人、未来人、超能力者が登場しますが、シリーズ全体ではタイムパラドックスネタが中心になっています。

SOS団のメンバーがそろい、この世界の危機が訪れる第1巻『憂鬱』。文化祭に向けて映画撮影を始める第2巻『溜息』。第2巻は少し中だるみがあって、評価が分かれてます。初の短編集にして、春から夏にかけてのSOS団の活躍を描いたのが第3巻の『退屈』。クリスマスパーティを目前に控え、ある朝キョンが目覚めると学校にハルヒはいなかった、そこはまるでハルヒが存在しない世界のようで・・・・というショッキングな事件が起こる第4巻『消失』。
たぶんアニメは『消失』まで描くんじゃないかと思うんですが、どうかな?

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2006年04月12日

先週のライトノベル購入

1.とある魔術の禁書目録9

1つのエピソードが1冊で終わらずに次の巻に続くのって、今回が初めてですね。
しかし今回もあまり本筋の話が進みそうにありません。
いや、まぁ、そもそも本筋の話ってなんだ? って感じですが。
主人公に長期的な目的がなにも無いんですよね。巻き込まれ体質だから、いくらでも続けられますし。
でもパターンが飽きられてくると、厳しいんじゃないかなあ・・・・。

2.イリスの虹2

正義の味方の女の子とごく普通の少年が出会う物語です。
このヒロインが奥の手を使うと、年齢が若返ってしまうんですよね。
この設定でバカを貫くなら、新巻が出るたびに表紙の女の子が幼くなっていくという、スーパーロリィな小説が誕生しますが、残念ながらシリアスなお話です。ちっ。
まあ多分、『スレイヤーズ』と同じパターンかと。(1巻で最強の呪文使っちゃったけど、その後はラストバトルを除けば使わないで勝つ)

3.カーリー

評判が良いので購入。
ヴィクトリア朝時代のインドを舞台にしたラブストーリーらしいですな。

4.天使のレシピ

第1話のみ読了。
電撃大賞の短編部門で、入賞作品が出たのはひさしぶり。
期待して買ってみたんですが、思っていたより普通でした。

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2006年04月11日

オタクが鑑賞するのはストーリーでも、消費しているのはキャラクター

XREAのDNSがおかしくなっている模様・・・・。一時的に直ったり、またおかしくなったり・・・・。

ひぐらしのなく頃に テレビアニメ公式サイト
じつは全然期待していなかったのですが、なんのなんの、すばらしいクオリティでした。
ノベルゲームのアニメ化でよく問題になるのは、分岐する物語の再構成の仕方です。分岐する物語を1個の流れに再構成しなければならず、本来の伏線を描写しきれなかったり、主人公の人格が分裂してしまったりするのです。また奈須きのこ作品のように、特徴的な文体や膨大な設定をもつ作品の場合は、アニメの演出が文章に追いつかなかったり、設定が形作る雰囲気をアニメの中で再現しきれなかったりします。

一方、『ひぐらしのなく頃に』は元々選択肢が一切無く、『鬼隠し編』『綿流し編』・・・・と順番に作品がリリースされてきました。従来のノベルゲームに比べると、小説や漫画のような非インタラクティブなメディアに近い形式です。そのため、作品全体をぶつ切りにしたり、再接合することなく、他のメディアに持っていけます。
コミックでは各編それぞれを異なる漫画家が執筆するというスタイルで、各編がほぼ同時期に連載開始されました。アニメではどうやら各編が順番に流れるようです。

   <出題編>
    ・鬼隠し編
    ・綿流し編
    ・祟殺し編
    ・暇潰し編

   <解答編>
    ・目明し編
    ・罪滅し編  ←アニメ版はここまでらしい
    ・皆殺し編
    ・祭囃し編

ノベルゲームは一般に描写が多く、文章がくどくなりがちですが、アニメ版は原作の中から部活や日常描写をうまく抽出できていますね。冒頭の撲殺のシーンを外さなかったのも正解。どうしたらあのシーンにつながるんだ・・・・という興味で、視聴者を引っぱれると思います。また、沙都子のトラップの場面をけずって描写の中心をレナと魅音に絞ったことで構成が引き締まりました。視聴者もだれに注目したらいいのか、混乱しないですみます。

ノベルゲームのアニメ化では、再構成の問題とならんで、雰囲気の再現もよく問題になります。
例えば、Type-Moon作品はアニメ化が遅く、本編(シリアス進行)→ファンディスク(日常重視。公式SS、公式パロディ)→本編のアニメ化、という順番で展開されます。本編を忠実にアニメ化しようとすればするほど、物語はシリアスになり、日常描写はストイックになり、キャラクターは暴走しなくなります。しかしファンにとっては、すでにファンディスクの世界、つまりキャラクターが物語の筋におかまいなく勝手に動き出している世界こそが『月姫』や『Fate』なのです。

このため、『月姫』ではアルクェイドが笑わないという指摘がありましたし、『Fate』でもセイバーが冷たすぎるという指摘がありました。『月姫』も『Fate』も基本的にかなりシリアスな話です。そういう意味ではアニメの演出は間違いではないのですが、ファンからすると何か大切なものが欠け落ちてしまったように感じられるのです。あれ? こんなキャラだったかな? と違和感をおぼえることがよくあります。

何故かというと、オタクの作品消化の仕方、つまり二次創作、同人、アンソロジーといったものは、物語の筋などおかまいなしに、キャラクターを立たせ、自由にし、暴走させ、勝手にありもしない日常をつむぎ出すものだからです。

オタクが鑑賞しているのはストーリーかもしれませんが、消費しているのはキャラクターなんですよね。オタクは日常描写や仲良し空間に飢えていますから。実際、オタク向けのストーリーメディアでは、何らかの形で(公式あるいは非公式に)この日常分を補完しています。例えば、ライトノベルでは、長編で比較的シリアスに物語を展開させ、短編集のほうで良くも悪くもワンパターンな、退屈だけど、大切な日常を描くというスタイルが典型的です。

『ひぐらし』はまずたっぷりと日常を描いてから、ふとしたことで日常が崩壊していくサスペンスを描く作品です。ファンの間でどれだけ日常や仲良し空間やキャラの暴走があろうとも、物語の筋は崩壊しませんし、ファンの抱くキャラクターとアニメ版のキャラクターの間に、乖離が生まれないんじゃないか、と思います。

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2006年04月09日

画質なんかより、話題の共有の方が何倍も重要

この春は新番組だけで70本にも達するらしく、まさにアニメ制作バブルがピークに達しています。「こんな本数、観きれないよ!」という悲鳴があちこちから聞こえてくる気がします。ボクも鑑賞対象アニメ増量中。ライトノベルも読む冊数が増えてます。

が、そのためにゲームをやる時間が限りなくゼロに近づいてます。ああ、ホントにゲームやってないよゲーム。困ったなあ・・・・いや、面倒くさくって、ゲーム。自宅に帰ったら勝手に起動してくれるゲーム機って無いのかね? で、勝手にクリアしてオススメだけ見せてくれるの。いや、それじゃ、俺がいらないか・・・・。

このブログの前身のBBSで書いたことですが、いわゆるインタラクティブデバイスというのは3種類あって、ゲーム機=両手型、携帯電話=片手型、たまごっちやロボット=無手型(半自律型)。で、ライトなユーザーは両手→片手→無手に移っていく。つまりどんどん楽なほう、「ながら」で楽しめるほうに行くのが自然なんじゃないか、と
# 書いた当時は片手型のゲーム機は存在しなかったので。

両手→片手ときたら、次は無手(遊ばなくていいゲーム)がくると思いますね。とはいえ、まだ数年先の話かな。要するにずっと触っていなくても、中で勝手に進んでいて、いつでも覗けるゲーム。わかりやすくいうと、バーチャル水族館・水槽みたいな。個人的にはインテリアみたいなゲームが作りたいんですけどね。例えば『エレクトロプランクトン』あたりにしても、あれをゲームと捉えるとオチが無いのが気になるんでしょうけど、画面付きのオルゴールと捉えれば、あれでいいわけで。

それにしても、何気にいろんな物がどんどんカジュアル&ライト化している気がするんだよなあ・・・・。

    ・FPN-ニュースコミュニティ- YouTubeにみるチープレボリューションの凄さ
    ・投稿映像無料配信サイト「YouTube」がスゴイことになっている / デジタルARENA

YouTubeがここまで広がってしまうと、もはやP2Pでさえ古臭く感じられちゃうな・・・・。リンク張れたり、感想を共有できないようでは駄目だという感覚。アニメのOPなんか、すぐに載っちゃうみたいですしねえ。

しかし一部では次世代DVDだの、地デジだの言ってるというのに、ネット上では動画の画質は悪くなる一方というのも興味深い。画質が悪いから、YouTubeが許容されているという見方は確かにその通りかもしれませんが、Flashムービーで十分というユーザーもいるわけですよね。画質なんかより、話題の共有の方が何倍も重要というライトユーザー(あるいはライトオタク)がいかに多いか。YouTubeはそれを証明してしまいました。

iPodやDSの成功にしてもそうなんですが、品質なんて本気で気にしてる人はじつはかなり少数で、ほとんどの人は他人と話題の共有ができればそれでオーケー。「感動」できる小説が売れるのも同じこと。コンテンツを「消費」する時代という言い方はさすがに手垢がつきすぎですか。消費された端から忘れられていく。歴史に残らない。歴史なんていらない。さて、どうすれば「残る」のか? それが問題なんですが・・・・。

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2006年04月08日

海が赤くなるから、青い海に逃げるわけではない

去年、レッドオーシャンとブルーオーシャンという言葉が急速に広まりました。
ポータブルオーディオプレイヤーの市場や、ゲーム市場を始め、複数の分野で大きな変化が起こったためです。従来路線を続けることへの行き詰まり感が明確になり、新しい市場を切り拓くことの重要性が認識されました。


しかしブルーオーシャンは、ビジネスの観点からの説明が多すぎました。
ブルーオーシャンの重要性が強調されるあまり、同時にややネガティブな認識も広まってしまいました。すなわち、古い海はすっかり赤く染まってしまったから、早く青い海へ逃げ出さなければ!というような理解のされ方です。この海では食えなくなるから、新しい海に旅立とう。開発費が高騰していくから、重厚長大な路線はやめて、軽いゲームを作ろうじゃないか・・・・。

そうした認識はビジネス的には間違いではありません。プロのクリエイティブはビジネス抜きには成り立ちません。市場やユーザーを無視できるのはアマチュアだけです。しかし、一方でコンテンツビジネスは、クリエイティブ抜きでも成り立ちません。そこが面白いところです。

例えば、「このままじゃ、開発費が高騰して回収しきれなくなるから、軽いゲームをジャンジャカ作ろう!」という理屈はとても正しいのですが、そういう経営の論理だけではクリエイティブは回りません。なかなか良いアイデアが出てこなかったり、差別化が難しい「軽いゲーム」市場において、版権以外の武器をもてず、膨大な数のソフトの中に埋没していくことになりかねません。提携や構想だけは立派でも、具体的なコンテンツの内容がなかなか発表されなかったり、何らの差別化要素も持ち合わせていなかったり。

しかし青い海を切り拓くというのは、「食えないから」という後ろ向きな理由ばかりではない、と思います。
MORI LOG ACADEMY: 何故続けているのか

続けているのは、ようするに、まだ会っていない人間がいる、という希望(あるいは予感)みたいなものだろうか。
トヨタは、クラウンを作った。クラウンは多くの人の欲望を満たした。もっと優れたクラウンを作ることがトヨタの使命になった。しかし、トヨタはあるときカローラを作った。カローラは、クラウンよりも小さく安く、シンプルな車である。クラウンのユーザは、「どうしてそんなレベルの低い車を作るのだ?」と怒ったかもしれない。しかし、今まで車に乗れなかった人たちの需要にトヨタは応えた。まだ会っていない人間がいる、という希望とは、たとえばこういう意味である。
この文章は、小説家の森博嗣氏が一生使い切れないぐらいの収入を得てなお、小説を書き続ける理由を語ったものです。さて、去年ゲーム業界に起きた変化をもとに、この文章の一部の言葉を置き換えてみましょう。
続けているのは、ようするに、まだ会っていない人間がいる、という希望(あるいは予感)みたいなものだろうか。
任天堂は、マリオやゼルダを作った。マリオやゼルダは多くの人の欲望を満たした。もっと優れたマリオやゼルダを作ることが任天堂の使命になった。しかし、任天堂はあるとき脳トレを作った。脳トレは、マリオやゼルダよりも小さく安く、シンプルなゲームである。マリオやゼルダのユーザは、「どうしてそんなレベルの低いゲームを作るのだ?」と怒ったかもしれない。しかし、今までゲームを遊べなかった人たちの需要に任天堂は応えた。まだ会っていない人間がいる、という希望とは、たとえばこういう意味である。
もちろん、この「トヨタ」「任天堂」のかわりに「スクウェアエニックス」を入れてもいいし、「マリオやゼルダ」のかわりに「ドラクエやFF」を入れてもいいでしょう。「セガ」や「ナムコ」でも、「ソニー」でも、「マイクロソフト」でもいい。あるいは、他のゲーム会社の名前を入れてもいいでしょう。
人が創作し続けるのは、世界のどこかに「まだ出会っていない人間がいる」からですし、自分の生み出した作品を通して、その人たちと出会える(かもしれない)と信じているからでしょう。

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2006年04月07日

「2.0」がますます浸透

MMORPG2.0って?

去年は、やたらめったら「2.0」が流行りました。Web2.0ブームの影響がありましたし、時代の変わり目を誰もが感じたためですし、古い時代との違いを明確に表せる表現だからです。ゲームの世界でも、例えばうちのブログでも「ゲームデザイン2.0」「ゲーム2.0」といった言葉を積極的に使っていました。

それぞれのブログで定義が異なっていたものの、論文を書く学者でもなければそういう細かい事はどうでも良いわけです。要は新しい変化の到来を誰もが感じたため、わかりやすくいキーワードが求められたということです。今年に入ってからも、アジアオンラインゲームカンファレンスの講演の1つで、「ゲーム2.0」=「Web2.0の考えを取り入れたオンラインゲーム」という説明があったらしいですね。

と思えば、いつのまにか「MMORPG2.0」なる言葉も生まれていたようで。
奥谷海人のAccess Accepted 「GDCで見たゲームの未来像」

MMORPG開発者達の喪失感は,「The Sims Online」「Star Wars Galaxies」「The Matrix Online」などが立て続けに失敗し“メインストリームになり得なかったこと”によるところも大きいはず。そこで,ユーザーを巻き込みながら成長する「Web 2.0」の概念をモチーフにして,訴えられ始めたのが“MMORPG 2.0”である。

 この流れの旗手として挙げられるのが,本連載でも何度か話題にしたことのある「Second Life」というMMOGである。プレイヤーがゲーム内で制作したコンテンツ(Player-Created Contents)の帰属をプレイヤー自身に認めることで,新しい形のゲームとして評判になった。その高い自由度からゲームだけでなく,教育などの分野でも利用されている。とはいえ,確かに開発者が強い自信をのぞかせるほどWeb 2.0的なサービス形態ではあるものの,Second Lifeはまだまだ一部のコミュニティに特化したものでしかなく,“MMORPG 2.0”としてブレイクするにはさらなる発展が要求されるだろう。

「2.0」という言葉が流行るかどうかはともかく、「2.0」的な考え方はじつに色々なところに浸透しつつありますね。mixi的と評価された『おいでよ どうぶつの森』が国内250万本に届こうとしていることを考えても、今後さらに「Web2.0」的な考え方への関心は強まっていくと予想されます。特にオンラインゲームの分野では顕著でしょうね。


流行ってるんだから使えばいい

まぁ去年の年末には、「ゲーム業界にはゲームデザインの言葉があるんだ」とか、「Web2.0なんてただのブームじゃないか」というような、チープな意見も一部にありました。しかし正直いって、言葉にこだわるのって、マーケティング屋と学者ぐらいじゃないですか。マーケティング屋はキーワードを散りばめたプレゼンをするため。学者さんは論文を書くため。そういうつまらないこだわりに、その他の人間が左右される必要は皆無です。

わかりやすい言葉を素直に使えばいい。「2.0」ブームが何年も続くとは思いません。しかし言葉なんて消えたっていいんですよ。言葉で金儲けする人じゃないんですから。面白いものをどんどん取り入れていく姿勢が大切。ゲーム発の言葉かどうかなんて、じつはどうでもいいんです。

例えば、去年最も話題になった『脳トレ』にしても、川島教授というゲーム業界の外の人の研究成果を取り入れているわけです。脳を鍛えるブームにしてもDSが生み出したわけではなく、元々脳ドリルがありました。口の悪い人なら、ブームに乗っかってゲームデザインしたゲームというかもしれません。それは正当な評価ではないでしょうが、1つの見方でしょう。

昔からゲームは、ゲームの外の色々な技術や面白いものを取り入れてきました。そして実際、今そういうソフトがライトユーザーをゲームの世界に引き入れているわけです。だから「2.0」がWeb屋の言葉だから・・・・うんぬんうんぬん・・・・なんてのは、心の狭い意見でしょうね。


おおらかに作って、おおらかに遊んでもらう

一般的に、1つの業界(市場)が縮小する時、2つの反応が起こります。
1つの反応はどんどん狭い世界に閉じこもろうとする動き。「ここからが○○の世界! 絶対」「外の流行り物を取り入れるなんて安易」「○○は高度化しているんだ」「○○の伝統を守れ」・・・・。やれやれです。もう1つの反応は、過去の常識、伝統といったものにこだわらず、面白いものはどんどんツモってくる動き。ある意味、いい加減きわまりない。でも面白ければそれでいいじゃないか。面白いが正義! 

前者の反応が強ければ、先鋭的なユーザーを残して、ほとんどのユーザーは離れていき、しだいに市場は先細っていきます。過去には2Dシューティングが、落ちゲーがそういう道を歩みました。
例えば、落ちゲーを作っている人にこう言ってみましょう。「連鎖ってわかりにくいじゃん。ついていけないんだよね。なくさない?」するとどういう答えが返ってくるでしょうか。「はぁ? お前はバカか?wwww 連鎖が無かったらゲームじゃねえだろ。シロウトかよ(プゲラ」ですかね? そういう反応ばかりが返ってくる世界がいずれどうなってしまうのか、ボクたちはいくつも実例を目の当たりにしているわけです。

ボクがよく言うのはできるかぎり「眉間にしわを寄せて作るのはやめようよ」ということです。作り手は眉間にしわを寄せてゲームを作り、遊ぶ人は眉間にしわを寄せてゲームを遊んでいる。ある一時期、ゲームの世界はそういう狭い閉鎖系になりつつありました。作り手はおおらかにゲームを作り、遊ぶ人もおおらかにゲームを遊んでいる。そういう世界で仕事をしたいのですよ。

とある人の名言ですが、「ゲームはバカが作ってバカが遊ぶもの」です。流行ってるものを取り入れるぐらい、軽く、素早く、チャラッと作ってもいいんですよ。実際、ゲームの外の世界の流行りを取り入れて、数ヶ月で作られたソフトがダブルミリオンに到達しようとしているわけでしょう。眉間にしわを寄せてどうするんですかねえ。
ボクは「お茶を飲みながら作って、お茶を飲みながら遊んでもらうのがいいねえ」って、ずっと言っているんですけどね。

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2006年04月06日

天才のいない野球漫画『おおきく振りかぶって』

以前から書店やコンビニで見かけていたのですが、最近あちこちで話題になっていたのでついに買いました。
確かに面白いです。
高校野球を描いてきた漫画はそりゃ古今東西いくらでもあるわけですが、この作品で特徴的なのは登場する少年たちが誰も彼も必死で一生懸命なことです。なぜ一生懸命なのか、それはこの作品の世界には天才がいないからです。凡人だからこそ、彼らは一生懸命に野球をする。その必死さは、ボクたちが身近に感じる必死さですし、ひたむきさです。

そもそも、これほど暗くて卑屈でオドオドした主人公(ピッチャー)がかつて野球漫画に存在したでしょうか。
彼は中学時代、祖父の経営する私立学園に通い、実力が無いにもかかわらず、ずっと試合でエースを張り続けました。チームメイトのやる気は下がりまくり、チームの成績は3年間、低迷しっぱなし。自分のせいで、みんなの中学時代を台無しにした・・・・と、落ち込んだまま、彼は学園の高等部には進まず、他の高校に進学しました。

「経営者の孫だからってエースやらせんの? ヒッデエ監督だな」
「カントクのせいじゃないよ。自分から降りたって、部を辞めたっていいんだ。そう……しなきゃダメって、わ……わかってたのに。オレ、マウンド3年間ゆずらなかった!」
はっきりいって、彼は彼自身の言うとおり、最悪かもしれません。才能ないなら、やめろ、出てけ、どけ。そう罵られても仕方ないし、チームメイトの士気を下げてまでマウンドに執着するのもキモいかもしれません。

才能が無いかもしれない、下手の横好きかもしれない、自分の存在が足を引っ張るかもしれない。それでも彼はマウンドに執着します。この執着は、天才というよりは凡人の執着ですし、ボクたちの身近にあるものです。
ボクたちの大部分は野球選手ではありませんが、職場で学校で家庭であらゆる場所で、同じような思いをすることがあるでしょう。才能が無いかもしれない、下手の横好きかもしれない、自分の存在が足を引っ張るかもしれない。言葉ではっきりと「無能だね」と罵られたかもしれない、無言の圧力で「邪魔だよ」と責められたかもしれない、あるいは自分自身の心が勝手に自分を責めるかもしれない。

大なり小なり、似たような思いを抱いたことがある人はいるでしょう。凡人だもの、仕方ない。だからこそ、彼を始めとする少年たちの執着は、必死さは、一生懸命さは読む者の胸を打つのだと思います。

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2006年04月05日

朝比奈ミクルの冒険

まいった〜!!
京都アニメーション制作の『涼宮ハルヒの憂鬱』。
こうキタかー。
原作第1話ではなく、短編『朝比奈ミクルの冒険 Episode 00』をアニメの第1話に持ってきましたよ。
ヒロイン(超監督)が最後の最後になるまで登場しないという構成もすごいw

『朝比奈ミクルの冒険 Episode 00』とは、涼宮ハルヒ率いるSOS団が文化祭の出し物として撮影した自主制作映画のこと。シロウトの作った自主制作映画っぽさが存分に演出されています。全編、ろこつな「棒読み調」で通すとは・・・・!
京アニのこだわった「自主制作映画」演出リスト

やりすぎ、やりすぎ。
ドラクエでレベル1の魔法使いがいきなりパルプンテぶっかましたような構成ですから、原作知らない人は置いてけぼり気味かもしれませんが、ネタはネタとして楽しめる人なら楽しめると思います。というよりも、この「唖然」「呆然」感こそが真のハルヒらしさといえます。

まぁ、このアニメがいったいどんなアニメなのかは、第2話以降を見ていただくほかありませんが、SOS団長こと超監督の涼宮ハルヒにSOS団員が振り回される物語です。ええ、まさに今のあなたと同じなのです。

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2006年04月04日

ゲームが何故売れるのか?

原画家のべっかんこう氏で知られるオーガストが、家庭用ゲーム機への移植を手がける新しいブランド「ARIA」を設立。同時に、新ブランド第一弾として、『夜明け前より瑠璃色な』の移植を発表しました。このところ、PC向けの美少女ゲームを作っている会社が自社ブランドでコンシューマーへの移植を行うケースが増えているような?

Type-Moonが『Fate /stay night』を年末にPS2で発売しますし。リーフ(アクアプラス)は昔から自社でやってましたが、『To Heart2』をPS2で先に発売したり、PS2/PSP向けの移植が増えていたり、コンシューマーへの展開がさらに積極的になっている印象です。同人ゲームが商業市場を侵食しつつある中、より安全(?)なコンシューマー市場に魅力を感じている、ということかな?

それはさておき、オーガストといえば、大人気原画家・べっかんこう氏とちとアレげなシナリオという組合せで知られていますが、にもかかわらず安定して人気の高いメーカーです。2chの「八月が売れる理由がわからない」スレが盛り上がっているご様子。

冬みかんとこたつ猫さんがスレの内容をまとめておられます。
冬みかんとこたつ猫 「2006-03-30 ファンに愛されればOK。瑕疵があった方が可愛い。」
まぁぶっちゃけ、べっかんこうの絵が好き以外の理由があるわけがないと思いますが。
あと、雰囲気に安心感があるんですよな。作品にも、作り手にも。なんつーの、仲良し空間がそこにありますよ〜、という感じが。オタクってのは基本的に、下手な一般人よりも「仲良し空間」に飢えている生き物ですからねえ・・・・。イベントでファンを囲い込む努力をしていますし。エロゲーはコンシューマーに比べて、ユーザーとメーカーの距離がかなり近いから、会社の雰囲気というのも何となく伝わるんじゃないかな〜、と。

オーガストのゲームはシナリオを楽しみたい人にはオススメできませんが、エロゲー初心者向けのソフトとしては間違いがないのも確か。『はにはに』(月は東に日は西に)のシナリオは電波っつーか、超シナリオでしたけど、別に気にならないですよ。キャラが魅力ですから。エロゲーに超シナリオは多いけど、その混沌こそが華ですし、だいたいコンシューマーゲームのはっちゃけないくせにつまらないシナリオモドキよりは百倍マシでしょう。美麗なCGムービーが無かったら、お話にならないものばっかりじゃないの。

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2006年04月01日

青い海は発見されると同時に赤く染まっていく

早くもレッドオーシャン化を迎えつつある脳を鍛えるゲーム市場

実用ゲームブームが拡大する中、脳を鍛えるゲームが急激に増えています。
去年の年末には
    ・インターチャネル 『七田式トレーニング 右脳鍛錬ウノタン DS』
    ・角川書店 『らき☆すた 萌えドリル』
が発売され、その後、2月9日にはナムコの『右脳の達人 爽解!まちがいミュージアム』。そしてこの春には
    ・3月30日 IEインスティテュート 『神林式脳力開発法 右脳キッズDS』
    ・3月30日 IEインスティテュート 『陰山英男のIQティーチャーDS』
    ・5月18日 バンダイナムコゲームス 『右脳の達人 ガンバれっトレーナー』
が続きますし、さらに夏以降、
    ・8月 IEインスティテュート 『英単語ターゲット1900DS』
    ・8月 IEインスティテュート 『中学英単語1800DS』
    ・9月 IEインスティテュート 『シカクいアタマをマルくする。』
と、かなりの勢いでソフトが出てきます。元々教育ソフトの資産をもち、GBAでもIQソフトを展開していたIEインスティテュートはここぞとばかりにソフトを投入します。他にも、PCソフトの資産をもつ会社なら、今のDSには参入しやすいでしょうね。

普通のゲーム会社の中ではナムコが活発にソフトを投入しています。ナムコは教育系ソフトの開発資産を持たないため、従来型のゲームに右脳トレーニングの要素をプラスアルファする構成を取っています。2画面+タッチパネルのゲーム機で間違い探しというのは素直な企画ですし、『ガンバレット』はアーケードで大人気だった光線銃ゲームです。遊びの比重が強いというのは、ナムコらしさを発揮する上で悪い選択ではありません。とはいえ、ぶっちゃけ無理やり右脳トレーニングを合体させている印象はぬぐえませんが・・・・。


スクウェアエニックスもシリアスゲームに参入したものの・・・・

スクウェア・エニックスと学研、シリアスゲーム事業で提携 専門の新会社「SGラボ」を設立
日本ではまだ、「シリアスゲーム」という言葉になじみの無い人が多いでしょう。簡単にいえば、ゲームを娯楽以外の用途に利用することや、娯楽以外の効果や目的をもったゲームのことです。脳を鍛えるゲームを中心に、実用ゲームブームが起きている現在、シリアスゲームに積極的に乗り出すのは納得できます。

しかし現実の市場ではスピードが重要です。ナムコが5月には2本目の右脳系ソフトをリリースする一方で、スクウェアエニックスはいまだに学研との提携を発表しただけ。具体的なソフトやサービスの発表はまったくありません。ちょっと鈍重すぎるのではないでしょうか? 「また仕組みだけ発表かよ・・・・」というのが率直な感想です。

それに、ここまでガッチリ組まなければならないことなのか? も疑問です。
シリアスゲームといえば、最近では任天堂のTouch Generations!が注目を集めましたが、『脳を鍛える大人のDSトレーニング』では東北大学の川島教授と組み、『えいご漬け』ではパソコンソフトで実績のあるプラトーと組み、『楽引辞典』では三省堂と組みました。またセガも『脳トレポータブル』では川島教授、『アハ体験』では茂木健一郎博士と手を組んでいます。要するに、それぞれの企画ごとに最適な相手と手を組むやり方です。

スクウェアエニックスのように学研とガッチリ組んでしまうと、逆に束縛になりかねません。だいたい、いっしょに会社を作ったはいいけど、そんなにブームが長持ちするんでしょうかねえ・・・・。なんだかナムコの福祉事業と同じ結果になりそうな気がするんですが。

スクウェア・エニックス、テレビで楽しめる松下電器の「Tナビ」 チョコボなどが登場するカジュアルゲームなどを提供
「Tナビ」へのソフト供給についても、コンテンツが弱いのが気になります。旧スクウェアではファミリー向け(?)のキャラクターとしてチョコボを使うことが多かったものの、必ずしもうまくいっていたわけではありません。家庭のリビングへの進出という意味では、なぜドラクエを使わないのかが、よくわかりません。『スライム de リバーシ』じゃまずかったんですか? 15パズルもよりにもよって、失敗した『コードエイジコマンダーズ』の絵を使っていますし。

そもそも自社版権+軽いゲームというだけでは、単に従来路線でたくわえた資産を磨耗しているだけです。そんなものは新しいビジネスでもチャンレジでもありません。例えば、『脳トレ』や『あたま塾』が『マリオの脳トレ』や『マリオのあたま塾』だったなら、ゲーム業界の中であそこまで話題になることは無かったでしょう。

また、軽いゲームは開発コストが低いため、あっという間に競合が増える傾向にあります。実際、脳を鍛えるゲームは早くも市場にあふれ返りつつあります。つまり海が赤くなるスピードが恐ろしく早いんですね。すると、市場を埋め尽くす軽いゲームの中で、差別化ができる工夫や独自の付加価値が必要になります。韓国のオンラインゲーム会社はカジュアルゲームに積極的に取り組んでいますが、アイテム課金やアバターを中心にして利益を稼ぐ構造を取っているわけです。単純に軽いゲームを作っていけば、それでビジネスがうまく回るわけではありません。小遣い稼ぎではなく、ビジネスにするための戦略や構造が必要です。


弱点を露呈しつつあるスクウェアエニックス

スクウェアエニックスが軽いゲームを作るのはとても良いことでしょう。しかし厳しい見方をすると、現状ではソフトやサービスの内容についてのビジョンが無いまま、ビジネスの理屈と仕組みだけが先行し、空回りしているように見えます。もはや死語になりつつあるポリモーフィックコンテンツの時も、経営サイドの理論はご立派なものの、いざ世の中に出てきたのは『コードエイジコマンダーズ』。露骨なオタク狙いのはずのタイトルなのに、ひと目見てオタクが欲しがらない、スルーするような内容でした。

うーん・・・・なんていうか、最近のスクウェアエニックスは、ご立派なビジネスの仕組みと空っぽのコンテンツ、という印象です。どうしてこんな事になってしまうのか。
最大の理由はおそらくスクウェアエニックスにチーフ・クリエイティブ・オフィサーに当たる人物がいないからでしょう。経営サイドとクリエイティブサイドの橋渡しをし、個性あふれる開発者たちを説得でき、コンテンツ戦略の未来像を具体的に思い描ける人がいないんです。同じように感じるのはボクだけではないようで、あれれさんも昔の記事で、CCO(チーフクリエイティブオフィサー)の不在を指摘していました。

坂口博信氏がいなくなった穴はやはり大きいと言わざるを得ません。坂口氏はFFの映画の大失敗や、開発コストの増大など、経営者としては大いに問題がありました。しかしその一方で、CG映像制作への投資(→アドベントチルドレン)や、オンラインゲームへの投資(→FF11やオンラインゲーム事業)といった、現在のスクウェアのクリエイティブの方向性を決定づけましたし、それが今のスクウェアの利益を支えているのも事実です。

坂口氏退任後のスクウェアの経営課題は、膨れ上がった開発コストの低減でした。そのために開発のコントロールを強化するのは自然なことです。これは、スクウェアに限らず、数多くの会社で起こった変化です。PS1時代のクリエイターブームとは対照的に、PS2時代には良くも悪くもクリエイターがおとなしくならざるを得ませんでした。

それは当時のスクウェア、当時のゲーム業界にとって正しいことでした。経営サイドの努力が実り、スクウェアは経営を立て直し、エニックスと合併して、世界的なソフトメーカーとしての地位を固めました。そこまでは素晴らしい再建ぶりです。しかし新しいプラットフォームが次々と立ち上がり、ゲーム産業の未来が不透明感を増している現在、先見性のある経営とおとなしい開発という組み合わせで、はたして未来が切り開けるかというと怪しいものです。

例えば、このところ成功の続いている任天堂はトップの岩田氏は経営者でありながら同時にゲーム開発者です。また宮本茂氏が専務を務めるなど、経営陣にハード、ソフトの開発者が多く、経営サイドと開発サイドのバランスが取れています。確実に復調しつつあるセガも、サミーに経営の首根っこを押さえられたとはいえ、開発者出身の小口氏が社長を務めています。

必ずしもゲーム開発者が社長である必要はないと思います。けれども経営のロジックだけでは、やはり理屈倒れのコンテンツ戦略になりがちです。クリエイターの側からコンテンツ戦略を描ける人物が必要でしょう。スクウェアエニックスの新戦略の数々を見ると、チャレンジの裏で、クリエイター側からのコンテンツ戦略の提案の不在を感じさせられます。軽いゲームで絵がチープなのは問題ないのですが、残念ながらコンテンツがチープなのです。


補足

軽いゲームは開発コストが安く、海が赤くなるのが早いため、開発の方針決定にスピードが要求されます。また競合コンテンツがあっという間に増えていきますし、以下のブログのエントリーで指摘されているように、アジア圏の開発会社とのコスト競争にも晒されていきます。

島国大和のド畜生: ゲームの「現場」のジレンマ
pandonの日記 2006-03-25

結果として、「青い海に飛び込め!」という経営の勇気だけではなく、「儲かるとわかった途端、またたく間に赤く染まっていく海」の中で独自の付加価値を築き上げられるクリエイターの側のアイデアも必要になります。カジュアルゲーム市場の未来については、いずれまた書いてみたいと思います。

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